響け!ユーフォニアムにおける「特別」を巡って

※この記事には響け!ユーフォニアムのネタバレを含みます

「他人と違うことがしたかってん」

「祭りの日に山に登るようなあほなこと、ほかのやつはしいひんやろ?」

「他人から称賛されたい。ほかのやつらと同じって、思われたくない」

「だからアタシは、吹奏楽をやってんねん。特別でありたいから」

(武田綾乃,響け! ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部へようこそ)

 

 響け!ユーフォニアムにおける「特別」は麗奈の「卓越してる部分に人との差異を見出す」ところから始まる。これは辞書的でストレートな特別という言葉の理解だろう。

 しかし同様の意味で周りから特別と見られていた田中あすかはむしろ特別でなくなることで救済される。何でも出来て雲の上から部活を見下ろしてるように思えた彼女も、"普通の人"と同様にトラブルや無力さを抱えていて我々と変わらない存在だと周知されることで部活への復帰を果たすのだ。

 この2つの相反する要素で響け!ユーフォニアムにおける特別観とそれにどうコミットしたかという問題は複雑になってしまった。それに対して中世古香織は一つの解決策を提示してくれる。

 

「晴香はね、あすかは特別じゃないって言ってたけど、私、やっぱりあすかは特別なんだと思う」

「あすかだけじゃなくてね、きっとすべての人間が特別なんだろうなって思うの。黄前さんにとっての麗奈ちゃんも、麗奈ちゃんにとっての黄前さんも。誰かは誰かにとっての特別なんだよ。だからやっぱり、あすかは私にとって特別。あすかにとって、私がそうでなくてもね」

(武田綾乃,響け!ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部、波乱の第二楽章 後編)

 

 この香織による特別観は哲学での「愛とはどういうものか?」という議論と非常に似通って見える。

 愛は何に基づくのか?という問いにおいて相手の容姿が優れていることや裕福であるという性質に理由を求める議論は

・それらの要素が変化したら愛さなくなるのか

・上位互換が現れれば愛情がそちらに移るのか

という問題からそれだけでは説明がつかず、愛の対象は代替不可能性があると言う。そういった代替不可能性は経験が育むのである。

 社会心理学では、夫婦間の絆をどう維持するかという問題ではロマンティックな愛情が大きな役割を果たすという研究がある。そこではロマンティックな愛情を感じた経験のあるカップルほど別の魅力的な異性を見た後にその異性のことを考えなくて済むと説明する。*1

愛は相手の性質に惹かれたりきっかけになるなど重要な位置を占める一方、愛を育む過程でした体験も代替不可能性をもたらしより深い愛となっていくのである。

 

 これはまさに香織の特別観そのものではないか。卓越性を失い誰かから特別でなくなっても(あるいは最初から特別でなくても)誰かにとって特別であることは可能なのだ。全国金賞という特別(卓越性)を目指した『響け!ユーフォニアム』はある一方では卓越性に囚われることのない特別(愛情)の物語だったのである。

 麗奈の特別観をそのまま採用するのであれば響け!ユーフォニアムを「特別になろうとする麗奈を久美子は追い求め、その為に久美子も特別になり2人でソリになることで特別な関係を結んだ物語」とすることも出来る。そうすると楽器の実力が足りなかった故みぞれと添い遂げられなかった希美は特別な関係を結ぶに至らなかった過誤の物語となるはずだ。結局音大に進んだ麗奈と進ま(め)なかった久美子もみぞれ-希美関係のリフレインにしかならない。それらを解決する為に私は中世古香織モデルの特別観を支持したいと思う。

 "そこら中に代替品が転がってる世の中"でも人が特別である方法は存在するのだ。

 

 

 

参考文献

北村英哉・大坪庸介,進化と感情から解き明かす 社会心理学,有斐閣 

源河亨,愛とラブソングの哲学,光文社

稲岡大志・長門裕介・森巧次,世界最先端の研究が教える すごい哲学,総合法令出版 

 

*1:Gonzaga et al., 2008